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都市伝説

アンコールワット謎に迫る!

2016/02/12

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アンコールワットの謎!世界最大の宗教遺跡になんと…?!

世界最大の宗教的モニュメント言われており、ヒンドゥー教と仏教が共存する場所…。

そこに刻まれる謎の生物…。

現在カンボジア人のルーツは「クメール人」とされていますが、

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そもそもこの民族がどこから来たのか分からない…。まるで忽然と歴史に姿を現しているのです。

前に書いた「オルメカ文明」の人たちとは逆ですね。あちらの人は忽然と姿を消す…でしたからね。

アンコール朝自体に記録を書物で残すという文化が無かった為に、はっきりとした

記録が残っていないのが大きな要因になってしまうみたいですね。

アンコールワットはクメール語で「寺院の街」

「アンコールワット」は、クメール人によって建設されたと言われております。

建設された時代はアンコール朝という王朝が栄えた時代である、

802年~1432年の間と言われており、おそらくその王朝の晩年に差し掛かった14世紀頃に、

スーリヤヴァルマン2世によって建造されたと見られているそうですね。

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アンコールワットはクメール語で「寺院の街」。

東西約1500m、南北1300mにも渡る幅200mの環濠に囲まれており、

その中には多数の塔や装飾物、本堂や仏像が規則正しく設置されており、

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完成までには約30年間かかったと言われております。

建設したクメール人に関しては、どこから来た民族であるか等のルーツは、

はっきりとは分かっていないとされています。なぜなんでしょうね?

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「あちら側の人」だからですかね?!クメール人の他にも高度文明の「シュメール人」もあちら側の人ですよね…。

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アンコール朝も記録を書物で残すという事をあまりしない文化であったようですね。

そして、ナゾが多く残る建造物であると言われているみたいですね。

一説ではクメール人の考える「宇宙」が表現されているとも言われているそうですね。

天体の知識とアンコール朝

アンコールワットはこの地を星座の龍座をモチーフに作られたみたいですね。

更にコワいことに、アンコールワットの配置は紀元前10500年の純分の日の天体図に合うことも分かっているそうですね。

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果てしなすぎる時代の隔たりがありますが、こうした根拠からアンコールワットが、

もっと前から建設されたものであるものでは…?という説もあるそうですね。

というか、この龍座ってそもそも何?と思っているのですが、どうやら北天の星座で、

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トレミーの48星座の一つであるそうです。

そして、アンコールワット内のタ・プロームという寺院にはこの画像のような恐竜がモチーフになった

と考えられるものが彫られていると言われているそうですね。確かに恐竜っぽいですね。

このレリーフが恐竜と騒がれているのには、他にも彫られている生物があるのですが、

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それらは猿・鹿・水牛・オウムなど現地に存在した生物ばかりである為、

この恐竜っぽいのも実際に存在していた生物だったのではないかという事で騒がれているみたいです。

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まあ、そうは言われているのですが、私個人的には周囲に彫られた生物も何か分からない、

っていうか、恐竜だけが逆によく分かるという…。

確かに夢がある話がある話ですよね。恐竜が全て絶滅した訳ではないという説は色んなところで語られているみたいですね。

戦争中には兵が恐竜と同様の外観を持った生物と遭遇したなんて言う話もあるみたいですね。

ステゴサウルスは長さ9m、高さ4m程だったと言われています。象かそれより大きぐらいの大きさでしょうか?

ジャングルの中に存在していた可能性はありますよね。

アンコールワットが世に大きく紹介されたのは1860年1月22日、フランスの博物学者である

アンリ・ムオ氏が発見したことによるものでした。

宗教の勢力と国家の関係

しかし、アンコールワットをGoogleマップなどで見ると分かるように周囲の森林は

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全くもって深い生い茂ったものではなく、1km程度のもみたいですね。

その為、現地人は知っていたそうですし、世界的にはウワサとして結構有名だったそうですね。

それを象徴するように徳川時代の日本人「肥州の住人藤原朝臣森本右近大夫一房」が

1623年に父の菩提を弔う為に、仏像を4体奉納しに来たという記録があります。

日本からカンボジアにわざわざ渡って、弔い行くというのは、宗教的な場所として

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世界に認知されていたということみたいです。インターネットなどは当然ありませんから、

現地人が来日した際にそうした話を聞いたか、文書などで伝わってきたか…?

いずれにせよ、その存在はメチャメチャ知られていたみたいですね。

アンリ・ムオ氏が発見したというニュースよりも200年も前。何故1800年代に今まで

誰も知らなかった遺跡を発見したというようなニュアンスで伝わっているのかは全くもって不明みたいですね。

不思議な話ですね。

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