真矢ミキの悲しい過去とは…?
現代社会は…“ストレス社会”と言われていますし、企業や個人経営の会社など…、
色々な団体がありますが、大きければ大きいなりの問題があり、
小さければ小さいなりの問題がありますよね…そして、私も経験がありますよ。
病院にも通いましたし、薬も飲んでいましたよ、その時は本当に何もやる気が無かったですね。
今は復活して、良くはなりましたよね…しかし、またいつなるかはわからない…。
結構、変なところでこだわってしまう所があるみたいで、こだわらなくていいトコなのに…
というトコをこだわって、考えてしまうんですよね。だから、この頃はこだわらないようにしてますよね〜。
私はある人と出会ってから、自分の人生は変わったと感じましたよね。
本当に人生の中でこの人と出会って本当に良かったですし、感謝しきれないですよね。
あっ(汗)、自分の事は…この辺で…。
強いと思われている人が、実は落ち込みやすい性格だったみたいですね。
そういうことも珍しくないはず…、真矢さんが、悩みを抱えていた頃を告白したとか…。
真矢さんの大変な時期の30代の頃…
真矢さんのマネジャーさんが語ってくれたらしいですが…。
真矢さんはメンタルの回復力が半端ないですね…、落ち込んだ所からV字で這い上がってきますよね。
今まで数々のかたを見てきましたが、1位、2位を争う感じだと…。
信じられない言葉だった…なぜなら何を隠そう、かつてはいつまでもいつまでも、
マイナスの感情の渦から這い上がれず、病気にまでなってしまった人間だったから…。
最初は30才を過ぎたばかりの頃…悩みが深すぎて食べるという行為が困難になったそうですね。
ごはん粒を一口のみ込むことが難しくて、液体や錠剤で栄養がとれて、
体重が維持できる物を誰か発明してくれないか…と本気で思っていたらしいですね。
日に日に減っていく体重が怖くて、顔を洗うたびに手のひらの中で小さくなっていく…、
自分の顔が怖くてたまらなかったそうですね…、 その次は、宝塚を退団したあとらしいですね。
レッスンや稽古がない日々をどう過ごせばいいのかわからずに、
今度は食べることがやめられなくなってしまったそうですね。
どっちも完全に心のバランスを失っていたとかで、失いすぎて食事の適量が、
わからなくなっていた訳とかで、その頃の真矢さんには、心の耐震構造がなかったんだなって…。
ある彼女に話をして…一瞬にして変わった一言とは…?
ボコボコに頭をぶつけてやっと今にたどり着いたけれど、だからこそあの時代の事はこんな感じに話したいとか…。
グラグラ揺れて壊れちゃったみたいで、ゆるみとか遊びの部分が無かったって…ね。
でもそのくらい、15歳から30代まで20年間、宝塚でずっと積み上げてきたことを、
リセットするのは激震だったそうですね。ただ単に「男役ができなくなった」とか、
そういうことでは無く、自分の世界が崩壊して、どんなふうに立っていれば、倒れないのか…見当もつかなかったみたいですね。
宝塚時代の真矢さんは、ものすごく愛されていたけど、でもそれは生身の真矢さん自身をじゃなくて、
舞台上で男役を演じている真矢さんの一部分だけを愛してくれていたんじゃないですかね…。
真矢さんが“宝塚”という化粧や衣装を取り去った途端、誰もが、
そっぽを向いてしまったような気がして、どうしようもなかった…、そしたら、“うつ”になっていたとか…。
ある時、真矢さんが、友人にこう話をしたとか…。
「私さ、なんで生きてるのかわかんなくなった」
と言っていたみたいで、そしたら彼女がこう言ったそうですね。
「じゃ、とりあえず私はあなたが必要だから生きててよ」って…軽い調子で…。
このひと言は、まるでカビのように負の感情が繁殖していた真矢さんの心をパンパン!と払ってくれたみたいですね。
よし、生きよう、まずは人に会って話をしよう、人に好かれることより、自分が人を好きになろうってね…。
たくさんのいろんな立場や職業の人と会って、話して…、
やっと人としての入口に立てたような気がしたのを昨日のことのように思い出すみたいですね。
とても良い話ですね〜。これからは…楽に生きていきましょうね〜!!